ふたりで地獄にけせらせら

幸せってヤバいんだよ幸せって怖いんだよ。
幸せになってはいけないって今でも思ってる。
絶望を糧に生きていた人間から絶望を取り上げたらどうなるか、不幸にしがみつくことで生きていた人間が不幸を克服してしまったら、身動きとれないような、まるで呪縛のような過去が感傷が心の機微が生きる意味そのものだとしたら。
愛しても愛しても穴のあいたバケツのように、メンヘラは愛がほしいと泣きじゃくりながらまた不幸へとかえっていくのです。


あのとき死ななくてよかったなんて今でも思えない

もういいやぁと思って自殺したのに目が覚めたら知らない病院にいて制服じゃなくてパジャマ着てて誰かが車椅子押していて視界がずっとぐるぐるしていて自分がじゃべってるのに誰の声か認識できなくて看護士に「死にたかったんですか?」とか聞かれて死にてーから自殺したんだろバカって思った。
自殺未遂してから退院するまでの記憶がなくてふわふわ変な気持ちで普通に学校いったら「何してたの?」って色んな友達に聞かれて「サボってた笑」って答えて私は今まで通りのおもしろくて明るい私で全然何もないですよって顔して過ごしてた。実際そうだったし、私はこれまで以上に底抜けに明るい人間になれたと思う。
死にたかったのに死ねなくて全てがどうでもよくなった。生きるのも面倒だけど死ぬのも面倒だなって思った。全てが面倒だって色々諦めたら、人の評価に怯えることもなくなった。私は私を殺してはじめてきちんと息をしたのだと思う。
たぶんこれから先死ぬことはないんだろうなって何となく思う。まるで世界の全ての不幸を背負ってるみたいな顔して生きていた自分が、いまとてもシンプルに生きていけている、それが時々無性に寂しいけれど、それすら青春の残骸だから。
今私が何かに悩むのだとしたら、ぎりぎり克服できなかった自意識だって知ってる、その処理の仕方だってわかる。
純粋でいることの代償はつまり居場所がないことなんだって。


死ななくてよかったなんて思えないけど、生きててよかったって時々思う。


おいちゃんが褒めてくれて、私ですら気づかなかった私のどこそこを褒めてくれて、私は必死に吐き気と戦った。優しいものはとても怖い。幸せは怖いんだよ。明日仕事にいきたくないとごねる彼氏を慰めながら私はおいちゃんが私に対してした行為を何度も何度も反芻して何度も何度も傷ついたり舞い上がったりしていた。
誰かに愛されたり肯定されるのは、臆病な人間にとっては脅威にも成り得る。というのを、私はおいちゃんに伝えたいのだ。
私のことを知ってほしい。空っぽな私のこと。
汚くて弱くて卑怯で臆病な私のことを。

幸せは怖いからふたりで地獄で笑いたい。




愛されることの重みをみんな知るべきだ。