キラキラ 君の 毎日に触れたい からだごと
おいちゃんと私は映画が好きなので、意味もなくTSUTAYAをぶらつくことがある。
Netflixに入っていない映画を探しては、ふたりで手を繋ぎながら映画鑑賞をする。
適当に探す素振りをしながらフラフラと新作コーナーを物色している最中、一瞬視界に入った"昼顔"のタイトルに釘付けになった。
嫌でも思い起こされる不倫さんとの思い出。
私は斎藤工の顔を凝視しながら、不倫さんと一緒に昼顔のドラマを見ながら、ああだこうだ夢物語を語っていたことを思い出した。
少しいいレストランで不倫さんと食事をするよりも、次の日に有給をとってくれた不倫さんと、ラブホで時間も気にせずスーパーで買い込んだ適当な弁当と酒を飲みながら、借りてきたDVDを見て過ごす夜が私は1番好きだった。
そんな時に打って付けなのは、内容のない頭を空っぽにして見れる映画だ。
多少の刺激があり、多少の色気があり、話題作で、そして何より"不倫"というものを客観的に描いた昼顔というドラマがあの時の私たちには最適だった。
不倫なんて大袈裟に言われるけれど、渦中にいる私たちはそれが分からないのだ。恋は盲目と同じだ。だからたぶん、サンプルが欲しかったのだと思う。
いけないことをしているという意識をわざわざ蘇らせようとしていた。
でも、やっぱりフィクションはあくまでフィクション。吉瀬美智子に抱かれたいそして抱きたい、という感想以外に特段学ぶことも持った感想もない。ドラマの最終回、不倫して結ばれたカップルはひとつもなかった。現実味があるのはそこだけ。不倫の先に輝かしい未来などないという当たり前の価値観。
「やっぱり私たちは少し違うね」と笑って、あの壮大なサウンドトラックを流しながらセックスをした。
世間が抱く不倫と私たちは違うと、互いを正当化したかったのか。
突きつけられた、こういう関係に未来はないという諦めに抗いたかったのか。
ただ、その時私たちは本気で、ふたりが一緒にいる未来を思い描いていた。
財産分与とか、お金の話とか、どこに住むとか、そんな話までしていた。
そんな話までしていたのに、今度昼顔が映画化されるみたいだから暇だったら見てみる?なんて話をしていたのに、もうすでにレンタルまでされていた昼顔、なのに隣に不倫さんはいない。どこにいるのかもわからない。
こんな結末は予想していなかった。
ハッピーエンドなんてクソ喰らえの人生でも、あまりにあっけなさすぎて映画にもならない。ふざけんなクソと思って、映画昼顔をレンタルした。
わざわざ不倫さんを思い出すために借りた。
感傷に浸って、わたしかわいそうって自己憐憫に酔えれば気持ちいいかもと思った。
いつかまた不倫さんと再会したときに、「そういえばあの映画ひとりで見ちゃいました」って言うために借りた。
風邪で声が出なくて使い物にならないから、バイトのシフトが全部パァになって、当分暇だから、まあちょうどいいかなと思って。
おいちゃんは「昼顔面白いの?」と不思議そうな顔をしていた。
結末なんだこれ。普通殺すか?
まぁ予想はできていたけど、殺すのは安易すぎないか?
"人のものを奪うということはこれくらいの覚悟が必要なんですよ"っていうこと?絶対にお前らは幸せになれないし、幸せになることは許されないってメッセージ?
そんなことはわかってるよ。
でも、会えない人に会えることを期待するのは辛いからいっそ死んでくれたらいいのにって気持ちは少しわかるし、自分の関係ないところで幸せになってくれればそれでいいって気持ちも生きているうちに少しできるようになったし、「自分が裏切ったことがあると人を信用出来ないのよ」って言葉はうっかり刺さってしまった。
不倫さんのことは、ほんとうのことを言うと、もう諦めかけているけれど、心のどこかで不倫さんからの連絡を待っている自分がいる。
昼顔みたいに、"奇跡的な"偶然の再会を望んでいる自分がいる。
でも、もう一生会えない気がする。
出会った日のことをあまりよく覚えていないけれど、確かDVの彼氏のことで日々積もるストレスを発散するために繰り返していた、一夜限りのセックスの中のひとりだったように思う。
ただ、この人だけは初めからとても好印象で、あちらも私のことを気に入ってくれたらしく、好きな漫画の話だけをする日もあった。ちなみに、不倫さんとはめちゃくちゃセックスの相性がよくて、気持ちよすぎて泣くという経験をしたのも不倫さんが初めてだった。
それから徐々に仲良くなって、初めてのデートはお花見だった。お花見といってもそんな大層なものではなく、ただ桜並木を手を繋いで歩くだけのもの。性的なことから始まった関係だから、むしろ正当なデートがとても気恥しく、とてもぎこちなかったのを覚えている。
その時、不倫さんに既婚者であることを告白された。つまり、私は不倫に加担することになるのか?という感想以外に、特に驚きも罪悪感もなかった。
何故なら既婚者と不倫するのは初めてだけれど、その時はまだDVの彼氏と続いていたし、毎夜毎夜名前も知らない男とセックスをしていたので、不倫さんの告白は私の中で特別なものではなかったからだ。
そこで私も彼氏がいること、DVをされていることを告白した(私がさらっと言ったからきちんと伝わっていなかったようで、殺されかけたDVだと後々になって知って不倫さんは驚いていた)。
お花見デートのあと、それまでとは少しだけ違う、でもいつも通り優しくて気持ちのいいセックスをした。
すると不倫さんは、誕生日だからと高級そうなチョコレートをくれたのだ。
私はそれがとても嬉しくて、わぁ!と大袈裟に驚いてみせた。
ドキドキしながら一粒一粒口の中にチョコを放り込み、一粒一粒を噛み締める。
たくさんの男の人と出会い、体と体を結んでも、そこには愛も情も快感もない。
ただ、私にとって暇つぶし・自傷行為・自分の価値を確かめるための行為でしかなく、あちらにとっても私は都合のよい性的興奮や欲求の対象でしかないのだ。
私はあの頃、そんなものたちの掃き溜めでしかなかったのだ。
チョコレートごときで容易いと笑われるかもしれないけれど、私はその時、私をひとりの人間として見てくれる人がいるんだと安心したのだろう。
しかし、それでも私たちは誰から見ても、当事者からしても倫理的に不味いことをしている淫乱な二人でしかなく、その事実が私の抱いた安心感とあべこべで、たまらなく刺激的で、恍惚さえ感じた。
不倫さんは、奥二重の整った顔立ちと35歳なりの色気が漂っており、とにかく、横顔がとても綺麗な人だなあと思った。
そして優しすぎるくらい優しい性格が、笑った時の目尻のしわから見て取れ、私はそれがとても好きだった。
"健康を気にして"と、iQOSに変えるまでは
KENTの煙草をよく吸っていた。
私は煙草の煙がすごく苦手で、すぐ咳き込むし涙もでるけど、煙草を吸っている不倫さんの横顔や長い指が好きだった。
加えて、珈琲もよく飲む人だったので、不倫さんとのキスはいつも少し苦かった。
「あきちゃんは、なんか他の子とは違う」
「何でも話せるよ」と言ってくれていた。
恋愛の場において、この台詞はまあ相手を落とすため、特別感を出すための男女ともに常套句だとは思うが、不倫さんが言うことはいつもほんとうのように聞こえた。
私は今でも、既婚者の男性ふたりと時々会ったりセックスしたりしているが、「なんというか、あきちゃんは男に自信を持たせる才能があるし、俺が守らなきゃという気持ちにさせる」ということをよく言われてきた。
私は私の利益のために、平気で自分自身の重い過去をそれらしく告白する。
別に深い意味は無い。
可哀想で弱い方が後々都合がいいからそうしているだけ。
「話してくれてありがとう」なんて馬鹿じゃないかと思う。そんなことで相手を知った気になれるならなんて幸せなんだろう。そんなことで、私のことを愛してるなんてみんなペラペラすぎないか。
私は必死でおしゃべりをすることで色々なことを隠している。
でも不倫さんだけにはそうじゃなかった。
私のことを知って欲しかった。
不倫さんのこと知りたかった。
だから私たちは色々な話をした。
色々な話をして私はよく泣いた。
不倫さんはいつもじっと私の話を聞いて、頭を撫でて、私が泣き止むまで抱きしめてくれた。お父さんみたいと思った。
そう、私はお父さんが欲しかったのだ。
大きくて温かくて優しくて私の全てを丸ごと愛してくれるお父さんみたいな人に憧れていた。
不倫さんのことはひとりの男性として慕い、セックスもキスもするけれど、どこかで不倫さんの子供に生まれ変われたら幸せだろうなあという気持ちもあった。
不倫さんは「あきちゃんとの子供が欲しい」とよく言っていたけれど、不倫さんがパパだったら産まれてくる子も、私の過去も未来も全部全部大丈夫なんじゃないかと思っていた。
不倫さんとは週一で会っていた。
行きつけのラブホの受付には、きっと不倫カップルなのはバレていたんだろうけど、それでも周りのカップル以上にはラブラブだった。
不倫さんは時々私のために有給をとってくれて、ふたりで色々なところに旅行に行った。
まだおいちゃんとも行っていないディズニーに行った。不倫さんの前では思い切りはしゃげたから柄にもなくミニーちゃんのカチューシャなんかつけた。
既婚者の男性とディズニーに行った話を友達たちに喜々として話したらめちゃくちゃ引かれた。ズレているのは、私の方。
本当にたくさんの場所に行ったけれど、草津旅行が1番楽しかったなあ。
もちろん、不倫さんは会社にいることになっているので、お土産ひとつにも気を使った。
でもカップル感がたまらなく欲しい時があって、草津のガラス工房だかなんかで私はハートのネックレスを、不倫さんはトンボ玉がついた携帯ストラップを買った。
不倫さんは「それ女に貰ったんじゃないの?!自分でそんなの買う?!って奥さんに怪しまれて大変だった」と苦笑いをしていた。
その話が私はとても好きだ。
私がおいちゃんのことで病んだり怒ったりしたときは、夜中にいきなり電話をかけても不倫さんは必ず出てくれた。
毎回すごくすごく優しい声で、声を聞くだけで涙がとまらなかった。
安心という言葉は、この人を指すんじゃないかと思うくらい私は不倫さんに絶対の信頼をよせていた。
事実、不倫さんは仕事が忙しい人だからいくらでも浮気のことを誤魔化せるし、偽装もできる。
いつ会社から電話がかかってきてもおかしくないので、私が夜中に狂ったように電話しても「会社から」の一言で成立する。
でも油断は禁物だ。
浮気がバレるとしたら、私たちは携帯からしか証拠がでない。
浮気するのにLINEを使う奴は馬鹿だと思う。
私たちは互いにメールでやり取りをし、電話をする時は会社の方の携帯にかけた。
だって別に、家庭を壊す気なんてさらさらないもの。
不倫さんの家にだって2回行ったけれど、私の知らない不倫さんが確実に存在し生活していることに、嫉妬どころか尊さを覚えた。
不倫さんと、不倫さんの奥さんが住んでいる部屋を歩き回った。
私にはおいちゃんがいるから、そのための余裕だったのかもしれないけれど、不倫さんに奥さんがいることは私にとって何ひとつとして脅威ではなかった。
だって、不倫さんはこうして私と会って、笑って、同じ未来を思い描いたりしているもの。
奪わなくとも、本当に互いが愛し合っているならいずれ自然に結ばれるわ。
今を楽しむのよ、精一杯。一緒にいられる時間分だけ、愛に余りはないわ。
そんな日々がずっと続くと思っていた。
甘かったかな。
私はおいちゃんと喧嘩する度に、不倫さんを頼った。不倫さんはいつもの優しい声で「あきちゃんが俺を選んでくれるなら俺は嬉しいよ」と笑った。「あきちゃんが1人になっても、俺がもらってやるから安心して」
と、そんなことがさらっと言えるのに、飾っていなくていつもとても安心した。
クリスマスに渡そうと、不倫さんの名前が入った高いボールペンを買った。
当日に渡すつもりだったけど、それはまだ私のクローゼットの端っこに見つからないように置いてある。
クリスマス前に1度不倫さんと会った時に、不倫さんの様子がおかしいことにすぐ気づいた。その前からメールで不倫さんから弱音を聞いていたけれど、明らかに"うつ"の症状が出ていて、
ココスで食事をしながら、なんとなく、今日別れたらもう会えないんじゃないかという予感がして、肉の味がしなかった。
それが現実となった。
「死にたい」というメールが届いた日から、不倫さんとの連絡は一切つかない。
死んでいるのかもしれないけれど、私には確かめようがないから、生きていることを願うしかないのだ。
ほんとう、いっそ死んでくれれば、私は不倫さんを美しくて切ない恋物語のなかに永遠に閉じ込めることができるのにね。
生きているのか、死んでいるのか、いっそ私のこと飽きたり嫌いになったのなら踏ん切りがつくのに、あの人は絶対に違うという絶対的な信頼が今になってわたしの首を絞める。
でもやっぱり、好きな人には生きていてほしいし幸せになってほしい。
随分まともな人間になったよ私も。
たぶん、一緒に過ごした時間のなかで不倫さんが私を育てなおしてくれたのだと思います。
皮肉なことに私は今おいちゃんととても穏やかに過ごすことができていて、おいちゃんは私のことを心から愛してくれているし、私もおいちゃんのことを心から愛しています。
1年後、おいちゃんは私の誕生日に私にプロポーズするかもしれません。
あきちゃん、結婚する?とバレンタインデーに貸し切り露天風呂で真剣な顔で聞かれました。
私は当然のようにうん。と答えましたが、おいちゃんも当然のようにその返事が返ってくると分かっていたようでした。
子供欲しい?と聞かれ、おいちゃんが欲しいならと返すと、俺は今すぐにでもほしいと、おいちゃんはそう言ってくれました。
結婚をして、子供ができたら、もし不倫さんと再会しても、そうしたらほんとうに昼顔になってしまうね。
よかったのかもしれない。
会えなくなってよかったのかもしれない。
もう一生会えなくてもそれでいいのかもしれない。
そういう気持ちと、不倫さんを過去のものにしたくないという気持ちのせめぎあいの日々です。
人は忘れていく生き物です。
でも、不倫さんの顔も声もどんどん忘れていく自分がいて、そんな薄情な自分が私は恐ろしいのです。
そんな気持ちでブログを書いた。
私が忘れても文章は残るので。
綺麗な思い出が私にはひとつもない。
呪いが増えていくだけ。
また4月がくるよ。不倫さんと初めてデートした季節。やだなあ。
こんなこと言うのは恥ずかしいんだけれど、不倫さんを思い出す時、大抵キラキラと輝く海をイメージします。
海みたいな人でした。