私は私よ 心があるもの

そうそう、そういえば夏休みの間に経験人数が+3です。


浮気に倫理観は関係あるんだろうか。


どうして人を殺しちゃいけないの?
これは私が小学生の頃から疑問に思っていることです。私は世界のすべてが敵だと思っていて、殺したい人間が自分自身を含めてたくさんいたので日がな1日こんなことを考えている生意気な餓鬼だったと思う。
大人は言いますね、「自分がされて嫌なことは人にしてはいけない」と。でも、世の中には別に自分は殺されても構わない、むしろ死刑になりたかったから人を殺したという殺人者もいる。では、「かけがえのない1つの命をこの世から奪ったから」と言ってみる、でもこれは人を殺すことと言ってることは同じだからあまり意味がない。じゃあ、「その人が死ぬと悲しむ家族や恋人がいるから」それなら独り身で天涯孤独の人間は周りに悲しむ人間はいないから殺されたっていいんだろうか。
そう考えていくと人を殺してはいけない理由なんてない。人を殺してもいいと思う。ただ、道徳や法律で「人は殺してはいけない」とされていて人を殺せば罪に問われるから私たちは殺人をしないだけだ。
もちろんつぶさに見ていけばおかしい。
そんなの間違ってる。だから私たちは人が本来持ち合わせるべき倫理を育てる。
戦争する国では殺人に目を瞑る、でも戦地から帰った兵士がPTSDで自殺するのは自分の心が、倫理が殺人を許容できなかったからだ。私たちが本当に大切に育てるべきなのはなにか。
未来の子供よ!よき倫理を!
そのためには自分の頭で考えることです。たくさん人やものと触れあって多種多様の意見を交換しあって人の気持ちを理解することです。
考えることをやめたらそれはもはや人間ではない。

だから私は人間ではない。
夏休み、時々前触れもなく訪れる恐怖症のようなものに襲われるものの比較的安定して過ごせたと思う。現実的な問題は特になかった。家には相変わらず帰りたくなかったけど、そもそもおいちゃん家とラブホを往復する毎日でほんどの夜を他人の家で過ごしたのでそれほど重要ではなかった。私は他人の気配がするとどれだけ気を許した相手でも夜眠れないという特性を持っているので体調だけは激悪くて、体調が悪いとだいたいそれに心も引きずられるから夜は危なかったけど、一緒に眠るおいちゃんや不倫さんはそれを理解してくれているからやりやすかった。あとは元彼問題が激化して私が殺されるんじゃないかって話題で持ちきりだった。殺されたら殺されたで仕方ないし、どうも私は自分の問題を他人事のように捉えるふしがあるからなんかヘラヘラしてた。元彼の愛は、他人からしたらもはや私のことすら考えていない一方的で身勝手なエゴの塊だ。私だってそう思う、どうでもいい相手からの大袈裟な好意なんてただただめんどくせーしうざいし怖い。でも、おいちゃんからみて私の愛が元彼の愛と同質のものだったらどうしよう。どうしよう、恋は盲目だ、純粋さは笑顔で暴力をふるうから時々間違える。


なんか学校が?友達が大変みたい。
私はもう3年と半年以上大学生やってるけど、大学の外での世界で色々ありすぎて大学生活に目をむける余裕があまりなかった。でも私は私なりに大学生活を楽しんでいたつもりだし、友達はいるけれどプライベートでは特に関わったりしない距離感が楽で、そもそも問題を抱えるような関係にみんななってんのすげえなあとか思う。都合のいいときに利用しあえばいいじゃない?別に嫌なら離れればいいのに、なんで一緒にいるんだろう。あっちはあっちでこっちはこっちで文句をいいながらニコニコしてるのとか虚しくならないのかな。そういうの高校生までだと思っていたからびっくりだな、滑稽で笑えるけど女の子って感じで可愛いかも。しかもそれが浮気とかなんとか恋愛のすったもんだって聞いてて、えっじゃあ既婚者とディズニー行ってる私はなんなんですか?とか思う。
メンヘラ落ち着いてきましたとか言って、それを喜んでくれる恋人がいるのに恋人以上に会っている男性がいて、ほんと性器ぶっ壊れるんじゃない?ってくらい毎日毎日セックスしてる私は何なんだろう。

なんかね、おいちゃんのことでそれほど騒ぐこともなくなってきたんですよ。あんなに毎日毎日会いたくて会いたくて震えながら手首切ってた人間がですよ?って得意気に笑ったら「それ俺と頻繁に会ってるから気持ちが紛れてるだけでしょ(笑)メンヘラ治ってないよたぶん」て言われちゃった。まあそうだねだって実際不倫も浮気もやめられないし。
でも、不倫や浮気が悪いって断言できる人間がどれくらいいるんだろうか。私のようなメンヘラが例えば幼少期の愛着の問題でこんな恋愛パターンになってしまったとするなら、そしてそれがパートナーとは違う異性と話したりセックスしたりすることで癒せる何かがあるなら、それを責めたり誰が出来るんだろう。もちろん良いことではないよね。例えばおいちゃんが浮気したら私は相手の女を殺すだろうし、まあ物理的にそれができなくても少なくともキスしたり手つないだ皮膚や粘膜を切り裂いたり剥がしたりしないと気がすまないからね。

結局大人の判断でどう決着をつけるかが問題なんだろう。そこは当人達どうしの、もてる倫理観を使ってよくよく話し合っての決断でしょ。私が不倫や浮気をやめないのはこれが悲劇的なものにならないって確信があるからだ。だってわたしには心があって、おいちゃんのことを世界で一番愛しているからよ。

友達に対しても思うけど、極論バレなきゃ無いのと一緒なんだよ。
私はどんな結末でも絶対に最後まで隠し通す。これが私の義務。


ただ、不倫さんとおいちゃんを天秤にかけ始めているのは自分自身に、なんだか情けないなあという感じだ。おいちゃんは優しい。ほんとうに優しくて素敵な男性だ。この前だってスパイシーチキンが食べたいからファミマに行ったのに売ってなくて、「お肉が食べたかったけど仕方ないやー」っておいちゃんの部屋に帰って買ってきたコンビニ弁当並べてたら、忽然とおいちゃんが消えて、トイレかな...長いな..うんこかな...って待ってたら、おいちゃんセブンのからあげ棒持って現れて「はい肉」って差し出してくれたの。すごくかっこよかったまた惚れちゃった。そういう人だもの。

でもいずれ結婚するとなるとなんだか妙な息苦しさを覚える。私がまだ見捨てられ不安を克服できてなくて、おいちゃんの一挙手一投足が怖くて、本当に私のこと好きなんだろうかって疑念が振り払えないのがたぶん最大の原因なんだろうけど。おいちゃんと付き合い始めたときは絶対にこの人と一生一緒にいたいから無理矢理にでも結婚してやるって思ったけど、おいちゃん結婚向いてなさそうだしなあ。不倫さんが安心するのは最後は絶対選ばれないっていう楽さがあるからなのかも。でもあの人本気で私のこと好きみたいだし、もしかしたらまじで離婚とかするかもだし、養ってくれるだろうし、愛情表現がわかりやすくて、わかりやすい愛情を求めるメンヘラ人間にはすごく安心するんですよね。おいちゃんはたまになにを考えているのかわからなくて怖い。
考えたくないなあ。私はやっぱりどこかで自分が幸せになることを諦めているのかもしれない。

まあでもせっかく生まれて自分の人生一度しかないのに周りどうこうを気にして綺麗ぶって身をひこうとか大人のふりしてる人間は嫌いなので私はやりたいようにやります。