悲しい顔を君には見せたいと思います


大学生活どうだったんやろって振り返ったらマジでセックスしかしてなかった。

そんなことはない、そんなことはないんだけれど。


中高はずっと死にたかった。どうしたら死ねるか、そればかり毎日毎日考えていた。

家庭環境と元々の気質と病気。冬の海に飛び込んだり首を吊ったり薬をたくさん飲んで何度も仮死状態になって何度もぶっ壊して何度も何度も何度も間違ってその度に自分の世界を作り変えていく、それしか私は知らなかったし、それ以外の方法なんてなんの役にもたたなかった。

目が覚めた時は病院だった。前後の記憶はないが、看護師に「死にたかったんですか?」と聞かれて何も答えられなかったことだけは覚えてる。当たり前だろって苦笑いしようとしてはじめて顔が痺れて表情を作れないことに気がついた。死にたかった、助けて欲しかった連れて行って欲しかったそれができないならみんな死んで欲しかった殺して欲しかった。

友達は知らない。親も知らない。

私は私というキャラクター、人格を作ってそこに自分を押し当てはめて生活をしていた。今は笑うところ、今は泣くところ、今は怒るところ、今は喜ぶところ、そうやって先に頭で考えて感情や表情を作っていく。

ここはこうした方がこの人は喜ぶだろうなって常に考えて、バカをすると案の定喜んでくれると、私も嬉しい。自分をうまく作れることが嬉しい。成功だ。うまくやれている。人間らしい。私は私を作ってしまえれば何でも話すことができた。とても饒舌に楽しい話ができるし、可哀想なふりをして同情をひくこともできた。

これはとても自分にあっていて楽だ。みんな私を私だと疑わない。楽なんだけど、疲れはする。空っぽなのに常に自意識は動いて、空っぽの体と脳みそを右肩斜め上から私が見張っている。無声映画を見ているような実感のなさ、私はきっとこれからも自分の人生の、この世界の当事者にはなれない、ここにいるのにね、あーあ今日も生きてるんだか死んでるんだかわからないや。だから時々、無理矢理にでも自分の肉体とこの世界をくっ付けるためにアームカットをして血を流してみたり、過食をして胃を満杯にしてみたり、首を締めてみたり、同級生の眼球を舐めてみたりするんだ。肉や脂肪に触れて、それが一瞬でも痛みを、柔らかさを、なめらかさを感じれば私が生きている証明になったんだ。

気持ち悪いと思う。でも、それはみんな同じだとも思った。事実、私の周りは病んでる人間ばかりだったし、そういうことをしないとみんな生きれなかった。結局、それら全てを含めて私は私だ、耐え難い現実だが。


私はなんとなくそんな自分を引きずったまま大学に入学した。その大学を選んだのは、センターが楽勝で特待で入れる確信があったのと、やりたいことがないのにやりたくないことばかりで(英語とか教育とか)心理学ってなんかふわっとしていてチャラチャラしてなんか楽そうだと思ったから。欲をいえばどうして私がこんな生き方しかできないのか知りたかった。


で、結局大学生活はどうだったかと言うと、ざっくりまとめるとどちゃくそ楽だった。

まず、勉強しなかった。勉強が大嫌いだ。

うちの母親は典型的教育ママで、子供が行きたいとも言っていないのに気付いたら塾かけもち4つ、家庭教師、英会話、ピアノ、バイオリン、オーケストラに入れさせられていた。いったい私や弟をどれだけ優秀な人間に育てたかったのか知らないが、親の期待に反して私はすくすくと順調に捻くれて勉強大嫌いクズ人間に仕上がった。

特に英会話は最悪だった。性格の悪いヒステリックババアが経営する塾で、間違えるとホワイトボードを指す棒で叩かれた。だから私は英語が苦手だ、苦手とかじゃなくもう嫌いだ。ふれたくない、アレルギー反応みたいなものだ。これからはグローバル社会です、私は順応できない死ねばいいのか。

クタクタになって夜家に帰ると、そこからまた勉強をさせられる。ミスすると「馬鹿」と罵られた。

平日は塾で疲れ切って、やっときた休日は楽器の練習で潰れる。練習を母親が見張っている。間違えると怒鳴られる。

耐えかねて、もうやめたい、嫌だと言うと、「根性なし、出来損ない」と言われた。母親の期待通りの娘になりたくて努力していたけれど、その努力は大抵努力と見なされなかったし、やることなすこと全て否定された。それで、悟った、というより諦めた、というより無気力になった。自分のやることは全て否定される、私は無意味で、無力な人間だという植えつけられた無力さ、無気力感は今後私の人生の多くを蝕むことになる。小学生の頃の話。


そして見事、"努力することは無意味だ嫌いだクソだ面倒臭い"という人間に育った私は、なるべく楽に、なるべく頭を使わない、低カロリー、低燃費な生き方をしようと心に誓った。大学のなんてぴったりなこと...!

サボれるし寝てても何も言われないし...テスト前にちょっと勉強すれば大抵できちゃうし。そう、大抵出来るのだ私は、何でも。センターで特待で入ると、その後継続して高い成績を保たなければ特待は免除になる。別にいいんだけど、授業費が半額になるので親からの無言のプレッシャーを感じていた。だから私はテスト前だけは努力した、どれだけ授業をサボっても、どれだけ朝帰りをしても。まだ中途半端に優秀であろうとした、中途半端に真面目なのだ。親に復讐しようとも思ったが、それと授業費は関係ないし、何よりそこで復讐という名目で成績を下げるのは普通にダサいと思ったしこだわっていると自分自身が思いたくなかった。親と私は別の人間なんだと、いい加減思いたかった。

自分の限界を知っていた。大抵何でも出来るけど、大抵、ずば抜けてすごいものはなかった。文章を褒められても作家にはなれないし、絵は描けてもそれで食っていけるわけじゃないし、運動ができても学年で一番にはなれないし、とにかく自分の才能のなさは自分が一番知っている。だから、期待してくる大人が物心ついたときから嫌いだった。あたなならと勝手に期待してこちらが出来ないと勝手に見限って勝手に怒る、教師が嫌いだ。カウンセラーも嫌いだ、私の何がわかるんだお前らに、お前らに私がわかってたまるか。

という精神で生きてきたので、鼻持ちならない子供だったのでしょう。信用なんて全然してない、今でも、大人に相談とか心を開くとか反吐がでる。

本当は知っている。そんな大人ばかりじゃないことくらい、私はまだ餓鬼なのだ、クソださい反抗期なのだ。

という点で、大学の教授は無駄に干渉してくることがないからすごく楽だった!

むしろみんなが、あきちゃんはっていつも呆れ顔で見るところを教授が「君は真面目だからね」って言ったとき、「そうそう私、皆んなはどうしようもないチャランポランだと思っているだろうけど本当はすごく真面目で、真面目すぎて色々疲れちゃって、それが一周まわって全てがどうでもよくなっちゃってこんなグダクダ生きていて、でも根底は何も変わってないから誰かの期待とか自分のプライドとか過去の自分にこだわって時々苦しくなるんだ」って思って、全部見透かされてるみたいで恥ずかしくて少し嬉しくて私は全然餓鬼だなって落ち込んだ。


人間関係も楽だった!

なぜならここでも干渉しあうことがないから。と思っていたら、私の知らないところで友人たちは干渉しあい、裏切りあい、秘密をかわし、誰かを傷つけ、傷つけられたりしていた。なんというか、ウケた。

そもそも、友達って都合のいいときに利用しあうものじゃないのか。それがないなさようなら、そういうものじゃないのか。

なんでこの、大学っていうおそらく人生で一番自由な場所で、自分でなんだって選べる環境で、人さえも選べるところで、普通に泣いたりしてるんだ?普通に、「あのね、あのこがね」なんて話したりするんだ?

すげえ超女子だ。女子の一番嫌なところが出てて、みんな可愛かったよ。わざわざ近づいてわざわざ傷つくという不幸ごっこが瞬く間に展開されていて、私はいつもそれを遠くから見つめていた。裏切りあう瞬間を目の前でずっと待っていた。そんなものはせいぜい高校生までだと思っていたが、結局人がひとり以上になると必ず歪みが起きるのか。

達観しているわけじゃなくて、関われなかった。興味がないのは、傷つきたくないからなのかな。興味がないんだ、好きな人以外に。

本当に大切なものはほんのすこしでいい、無くしたら終わり。私は友達全然いないんだけど、今いる友達が私は大好きだから、いなくなったらもうお終い。


まあ一番の理由は外の世界での出来事が忙しすぎた。彼氏に殴られたり、おいちゃんに助け出されたり、性病になったり、経験人数を数えることをやめたり、浮気がやめられなかったり、むしろ大学内で学ぶことより、こっちの方で傷ついたり死にかけたり、ぶっ壊すんじゃなくて自分と対峙しなきゃならなくなったり、学習することは多かった。それはきっと続いていくから今記す気力がない。



たくさん時間があったから、たくさん旅行に行って、ライブにも行けたからよかった。

色んなことでダウナーになってて卒業式も謝恩会にも出たくなかったけど、謝恩会でムービーを見たときなんか自然に笑ってしまったので、私の大学生活はとてもよかったんだと思います。


私は自分が無意味で、無価値で、くだらない、空っぽの人間だと思っているので、言い訳だけど、就職活動はしなかった。できなかった。きっとまた否定されたら私は今度こそダメになってしまう気がして逃げた。

何にも興味がない、と言う友人たちがみなきちんと就職しているのは少し羨ましい。

私は恵まれているんだろう、それでも生きていけるんだから。


一人暮らしをはじめようと思って、お金をためて、ちゃんとその準備が出来たことだけが唯一私が成し遂げられたことだ。家を出るまで結局親のことを好きになれなかった。